19日11:00頃です。小雨模様の中、関門橋が見えてきました。右側の矢印は複雑な潮流の変化を船舶に知らせる潮流信号です。
とても狭いです。
平成12年のドックは、山口県下関市で行われました。
1/17に父島から東京に帰ってきたおがさわら丸は翌18日の朝9時に東京芝浦を出港し、四国と九州の間、豊後水道を通り、三菱重工業下関ドックを目指します。
船内の航路案内もいつもと違うところをさしています。
この航海に船客はゼロ、業務の無い私は貸し切り気分です。
GPSは正確です。
右に曲げてゆきます。
本船が入るドックが見えてきました。
写真中央の、コの字に奥まっている岸壁に船体を入れていきます。
パイロットボートが本船と同じ速度を保ち、右舷後方に接舷し航行中のおがさわら丸にパイロット(ドックへの航路案内人)、ドックマスター(ドック責任者)を乗せます。
高度な腕を要求されます。
ちょっと強引?
その前に、退船用のシューターの動作確認を乗組員全員立会いのもとストップウオッチを使い、開くまでの時間を計ります。避難するときはシューターで四角いいかだに降り、カプセルに入っている救命いかだに乗り移る形となります。
ちなみに布のシューターの中はらせん状になっており一気に落ちることはありません。
ちょっとやってみたい。
用意、スタート!!
ドックに船体が完全に入ったところで、潜水夫が船体を支える木材が所定の位置にあるか確認に潜ります。
一月の海です。おお寒い。
潜水士の免許がいります。
上の写真に写っている島は、かつて宮本武蔵と佐々木小次朗が戦った巌流島です。

後方のタグボート二隻の後押しとガイドで慎重にドックの中に押し進められています。

いよいよです。
個人的にタグボートは好きです.
この時点で,時刻は14時頃。ドック内の海水が完全に抜けるのは夜になると聞き、撮影を中断して専用タラップで下船です。
自転車は押して通りましょう。

横にも走れるタグボート。
初めは何かわからなかった.
おがさわら丸のひみつへ

おがさわら丸ドック前編


ドックが近いので減速している横を貨物船が先を急いでいきます。
車と同じくムリヤリな追い越しの方もおられます・・・
タグボートがドックの入り口をふさぐための蓋、ドックゲートを持ってきました。

小回りの利くタグボートの運動性能には驚かされます。
 


  
横の写真は翌日に撮影したものですが、2mほどのドックゲートで完全にドック内と海が分け隔てられています。
毎週の様に運行しているおがさわら丸は年に1度、10日ほど島に来ない事があります。

島のスーパーには、貨物船共勝丸などが代行船として食品を運んで来るので飢える事は無いのですが、定期的におがさわら丸が来ないと、入出港カレンダーで生きてる島の人は少し戸惑いを覚えます。

観光のお客さんも少なく、島の飲食店などは休業をし、内地に休暇を取る人もいます。
島の人は、だんだんおが丸が恋しくなります。街もがらんとしています。

寂しさもピークになった頃、おが丸はぴかぴかになって帰ってきます。よくよく見ると以前と違う改造が施されてることもあります。
この間おが丸はどこへ行くのでしょう? それは”ドック”だと島民周知の事実です。が、ドックの様子を普段うかがい知る事は出来ず、又、一般の人は入れません。自船以外にも特殊用途船、企業秘密の船もあり撮影は認められず、ヘルメット着用が基本の現場は危険が伴います。ドックへの船旅も一般の船客の知りえないところです。

ドックって何をするの?という質問に答えるより、定期航路を離れた、あなたの知らないおがさわら丸のかおの一部をここで見ることが出来ます。
ドック入渠(にゅうきょ)までの前編と、水から揚がった状態が見ることが出来る後編の二部になっています。

ドック開始から完全終了までのレポートで無い事を予めご了承ください。

後編へ