擂鉢山ふもとに巡洋艦と同形式の海軍の14インチ水平砲がありました。昭和20年2月17日上陸作戦の開始2日前に米艦艇に砲撃を加えた事で、位置を知った米軍よりの艦砲射撃の的となりこの砲を含め13門の火砲陣が破壊され、このことから”勇み足砲台”の別名をとる砲です。いまだまっすぐに硫黄の地を見据えています。
砲のなれのはての鉄の塊があちこちに転がっていました。
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擂鉢山頂上の慰霊碑です。
右の写真の碑には、各都道府県の石を組み合わせて日本列島が描いてあります。
擂鉢山の火口です。米軍の艦砲射撃により火口が崩れ、海にあらわになっています。
これが擂鉢山山頂から見た硫黄島です。擂鉢山意外に山らしいものは無く、日本軍がこの島を死守するには地下に潜らざるを得ないわけが分かります。

赤い点がおがさわら丸の位置、黄色い線が自転車で走ってきた道です。およそここまで50分かかりました。
被弾の跡です。茶色く焼けてます。
ここから擂鉢山へ登る道は舗装されています。
擂鉢山のふもとにも、慰霊のための南観音と書かれた場所がありました。ここは南地区で戦死した将兵を祭った観音像で、昭和27年硫黄島協会より設立されたようです。
自転車を走らせると、いたるところに塹壕、武器の残骸が残されています。写真は擂鉢山を望む千鳥が原にある航空機の機体を利用して作られた塹壕です。
さきほどの道を自転車でひたすら走ります。ほぼ平坦な道ですが、途中で舗装が切れ、細かい砂利道になります。しかも大きな木陰など無く、直射日光を浴びながらのツーリング、水分は絶対にもって行かないと脱水症状になりかねません。
お茶2リットルと、缶ビール500を一本背中に入れて行きました。
擂鉢山へ