おがさわら丸のひみつに戻る
建造所:佐野安船渠
建造地:大阪
建造年(竣工):昭和35年3月
船主:小笠原海運
船籍地:東京
造船時の船名:浮島丸
定員:343名 特一等2 一等36 特二等54 二等251
長さ:82,5m
船幅:13,70m
深さ:14,40m
総トン数:2611t
主機関:ディーゼル機関
出力:3,150馬力
最高速力:16,9ノット
航海速力:14,5ノット 
父島丸 1973〜1979

昭和47年3月に東京都のチャーター便が中止になり、以降は小笠原海運の手で定期運行される事になりました。
当初は、東海汽船の椿丸を就航させていましたが、昭和48年、関西汽船いの沖縄航路に就航していた浮島丸を4月に船名を父島丸に就航させました。
以降、おがさわら丸が就航するまでの間、東京と父島を38時間で結んでいました。明治時代に8日間かかっていたのを思えば、格段の進歩といえます。
建造所:播磨造船所
建造地:相生
建造年(竣工):昭和22年6月
船主:東海汽船
船籍地:東京
定員:121名 特一等4 一等17 二等100
長さ:48,00m
船幅:8,60m
深さ:4,15m
総トン数:496t
主機関:ディーゼル機関
出力:850馬力
最高速力:14、5ノット
航海速力:11,5ノット 
黒潮丸
椿丸
藤丸
戦後、都のチャーターとして小笠原へ向かった二隻
芝園丸


建造所:三菱造船所
建造地:長崎
建造年(竣工):明治36年3月
船主:日本郵船
船籍地:東京
建造時の船名:芝罘丸(ちーふーまる)
定員:142名 一等18 二等19 三等105
長さ:78,03m
船幅:11,13m
深さ:4,98m
総トン数:1934t
主機関:往復動蒸気機関
出力:1540馬力
最高速力:12,3ノット
航海速力:10,0ノット 
黒潮丸 1968〜1972

東海汽船の東京〜八丈島航路用の貨客船として建造され、戦後の物資不足時代に活躍しました。
昭和43年に小笠原が日本に返還された後、東京都にチャーターされ、東京〜父島間に月1〜2航海のスケジュールで就航しました。
これ以前にも、昭和26年にアメリカ軍占領下の母島へ薬草採取のためにいっており、小笠原には,なじみのある船でした。
昭和43年、グァム島のハイスクール在学中の島の生徒の約40名が、黒潮丸に乗って東京に修学旅行に行ったときは、大きなニュースになりました。
筑後丸
天城丸
芝園丸 1913〜1945

日本郵船が中国航路用に建造した船で、竣工時には中国の地名を取って芝罘丸(ちーふーまる)という名でしたが、昭和10年、芝園丸と改名しました。

対象初期から昭和20年まで、途中数年間は別航路についたものの、東京〜小笠原を中心に就航し戦前の小笠原航路を代表する客船でした。

大正初期は、東京〜小笠原〜硫黄島まで8日間で結び、月に2航海でした。

昭和20年1月1日、父島から東京に向け出港した芝園丸は、3日、鳥島沖でアメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没しました。これにより明治初期から続いた小笠原航路は休止となり、終戦を迎えました。
明治9年12月に郵便汽船三菱会社(日本郵船)が小笠原に航路を開拓して以来、約110年がたちますが、この航路には多くの船が就航しました。

戦前は、芝園丸と共に筑後丸と天城丸が日本〜サイパン航路の途中、父島に寄航していました。戦後、小笠原が日本に返還されてからは、東京都のチャーター船として藤丸や椿丸が小笠原を訪れました。
そして現在、これらの船にに替わって大型船おがさわら丸が25時間30分で東京〜父島艦を結んでいます。また、ははじま丸は昭和54年に就航し、父島〜母島間航路で活躍しています。


  戦前に活躍した二隻
筑後丸
天城丸
  小笠原航路の歴史   小笠原への定期船の数々をご紹介   
   
                   
 小笠原ビジターセンターの資料に加筆 、また、藤丸、椿丸、黒潮丸の写真はおがさわら丸のフロントにあった写真を所有者の石関さまのご好意により掲載させて頂いています。
父島丸
二代目おがさわら丸
建造所:三菱重工業下関造船所
建造地:山口県下関市  
建造年(竣工):平成9年2月20日 船番1030番船
船主:小笠原海運
船籍地:東京
定員:1,031名 特等 特一等 一等 特二等 二等
長さ:131,00m
船幅:17,20m
深さ:5,70m
総トン数:6679t
主機関:馬力ディーゼル機関二機
出力:13500馬力×2
航海速力:22,5ノット 
1997年 新おがさわら丸来島。
2代目おがさわら丸 1997〜2016

時代と共に大きさ、出力が大きくなり、新しいおがさわら丸では父島まで25時間半にまで短縮されました。

現在、小笠原に渡る人のほとんどがこの船に乗船します。
初代おがさわら丸
建造所:三菱重工業下関造船所
建造地:山口県下関市
建造年(竣工):昭和54年3月
船主:小笠原海運
船籍地:東京
定員:1,041名 特一等 一等 特二等 二等
長さ:110,50m
船幅:15,20m
深さ:4,75m
総トン数:3533t
主機関:5800馬力ディーゼル機関二機
最高速力:21,77ノット
航海速力:20.5ノット 
初代おがさわら丸 1979〜1997
昭和54年4月から平成9年2月まで、5〜6日に1便、東京と父島を28時間半で結んでいました。初就航から1051回の航海で、総乗船客数は728,700人、総航海距離は2,115,500kmにも及びました。
また、墓参の方々を乗せ、硫黄島へも27回の航海を行いました。
おがさわら丸は、特に小笠原航路のために造られたもので、外洋を航行するための横揺れ防止装置”フィンスタビライザー”や、燃料節約のための”SEB(スターン・エンド・バルブ)”などが装備されていました。
現在は、第二の人生をフィリッピンのセブ島で送っています。