夜明道路から巽道路と呼ばれる登り坂ばかりが続く道路に入り、しばらく走ると右手に戦没者の慰霊碑が見えてくる。この地で衛生兵だった秋場氏が昭和56年に建立した物のようである。
その慰霊碑の手前、カーブ左側にあるガードレールの隙間の草が割れている所を降りていくと、沢が流れていて、うっそうと茂った木が日光を遮り昼でも薄暗い広場に立つ。

水の流れる音しか聞こえてこないが、じめじめした道を少し進むと、脇に井戸のポンプ、陶器の尿瓶、試験管、薬ビン、ハカリなどの人工物が集められている・・・
どうやらここは境浦にあった野戦病院が昭和19年に移転した場所らしい。
斜面には無数の闇が口を開けていた。

文献によると、病気も蔓延したらしい当時、100名以上がここで満足な手当ても糧も受けられず亡くなり、煙も立てられない戦況では沢に投げ捨てられたとも伝えられる。

無数の念がこもった場所である事はその雰囲気をもってもうかがい知れる・・・

帰郷が叶わなかった多くの英霊に合掌。