岸壁の前の道を清瀬方面に進み、美津ストアーの分岐を左に行くと、診療所、保健所があり、その建物の裏に清瀬弾薬庫の入り口がある。

ここは壕というより、地下要塞と言うべきか、山肌に口を開けた暗闇に入っていくと、幅3メートル弱の白くカマボコ状のきれいな通路の先に、金庫の様な重い鉄扉が二つあった。資料によるとこの扉は相当重いらしい。今となっては錆付いて動かない。

この弾薬庫は、大きなカマボコ洞の中に、ひとまわり小さいカマボコ状の箱が作られ、そこに扉が付けられている二重構造であり左、中、右と3本で構成され、左と中が連絡用通路で結ばれているが、落盤により通行には覚悟を要する。

3本の弾薬庫は幅5m、天井3m、奥行きは一番大きな右の庫で50mに及ぶ。



カマボコ箱の中は一面が銅版で覆われており、未だに光を向けるとキラリと光る。

戦後間もなく上陸してきたアメリカ軍の幹部がここを見て驚き、電子要塞か美術品置き場かと思ったらしい。
中には旧日本軍の説明に納得できず、マッカーサーに調査を要請した幹部もいた様だ。。

また、昭和35年〜43年頃に父島に寄港した潜水艦のミサイルが格納され、厳重な警備に置かれたとも伝えられる。



朝鮮戦争等の特需によって銅が高値で取引された時代、中、右部の弾薬庫の壁が天井とその付近を残し剥ぎ取られてしまった。